3 エピソード(2)

我々の審判意識を決定づけるきっかけとなるゲームがあった。国際審判員となった直後の日本フランス戦、我々にとっては最初の国際試合の運営、試合は日本の勝利、しかし、我々は納得できなかった。日本のそれまでの通常のゲームと同じく無難にこなしたつもりであったにも拘わらず、ゲーム中再三にわたるフランス側のアピール。

終了後、関係者いわく。「いいんだよ、ほっとけ、彼らは弱いんだから。」「負けた連中はいつもこうなんだから気にするな。」、釈然としないまま、そーの後アジア選手権が行われたソウルでノルウエイ組の適確な審判ぶりを数試合つぶさに観察する機会をもった。疑問が見事に解けた思いがした。実に厳しい適確な審判ぶりだった。そして、あの時フランス側が文句を言うはずだと納得した。

改めてルールプックを精読した。

「腕や手で相手を阻止することは許されない。」と明記されているし、ルールは読めば読むほどに反則することに対して厳格な仕組みであることが判った。

我々は疑問点解決の見通しをもつとともに反則することに対して実に厳しいヨーロッパー流の審判ぶりを目のあたりにした時、我々の笛は変わった。いや、変わらざるを得なかった。

忘れもしない。その直後の群馬国体、我々の審判は実に厳格であった。批判が続出した。更に12月の全日本選手権においても我々の国体時の審判ぶりについての批判が継続した。

「確かにルールはそうかも知れない、そうあるべきかも知れないが、年度途中で審判ぶりが変わっては困る。」とも言われた。「いや、我々は誤りに気がついたんだ、こうあるべきだということが判ったんだ、誤りに気づいたにも拘わらず、それを修正せずに吹くということはできない、更に誤りである。もし、これか認められないというのであれば、『この大会の笛を吹かずに今から帰れ』と言うべきだろう。」、我々は問題提起をし続けた。大先輩のある人は「おい、今回ほんとにいいこと聞いたよ、俺今から20 年前に戻りたいよ、ほんと、ありがとうな。」と励ましてくれた。

その後、あまりにも支援の少なさと批判の多さにたじろぎかけた時もあったが、誰かが問題提起をするからこそ進歩がある。ルールの流れを見ればこの考え方は絶対間違っていない。「ルールの原点に戻ろう、ルールプックに示されているとおりに笛を吹こう。」を合言葉にして審判活動を続けて来た。

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